海外で働くことに興味を持ったきっかけ②アメリカへの5ヶ月出張
前回の記事で、初めての出張で海外への関心が広がったことを書きました。
そしてその4年後、紆余曲折を経て念願のアメリカ本社への長期出張が決まります。
出張期間は当初の予定は3ヶ月でしたが、ビザなしでアメリカに滞在できる期間が3ヶ月。
何かあった時のことを考えて、3ヶ月以上滞在できるようにと上司のはからいでL-1ビザ(企業内転勤ビザ)を取得しました。
今から考えるとこのような出張にL-1ビザを出してくれたのも当時ならではだったなあと思います。
当時は私自身わかっていませんでしたが、L-1ビザを取得するにはUS弁護士費用含めて$2000近く(当時)かかっています。今では会社のコスト管理も厳しくなったため、このような出張目的でL-1ビザを出すことはなくなりました。
しかも出張申請を出したのが11月終わりで、それから履歴書や大学の卒業証明を準備して、弁護士に書類を用意してもらってUS大使館での面接をしたのが12/29。
年明けにビザ付きのパスポートが返送されてきて、1/16に渡米したので本当にギリギリのスケジュールでした。
多分このスケジュール感も今じゃありえないと思います。
さて、初めてのアメリカ生活ですが、
・初めての運転(日本ではペーパー)
・初めてのネイティブ英語
・初めての仕事内容
に非常に苦労しましたが、それを上回る価値観の再創造がありました。
3ヶ月の予定もいろいろと理由をつけて2ヶ月延長させてもらい、計5ヶ月の出張となりました。
その期間、乾いたスポンジのように何でも吸収していた一方、これだけストレッチできる環境にいながら自分がそれに追いつけられないことに落ち込むこともありました。
日本とは全く違う柔軟なワークスタイル。
エンジニアが主体的に仕事をできる環境。
女性であっても年齢も関係なく活躍できる環境。
当時のことを私は日記に次のように書いていました。
「現在働いているアメリカの部署の中には女性もわりといて、しかも結構年輩の女性もいたりする。
子供を育てながらも、バリバリと技術の道あるいはマネージメントの道をつき進んでいる女性を見るとすごいなぁと感心してしまう。
日本社会では、女性が結婚・出産の後仕事をやめるケースが大半なのは、両立できる制度が整っていないということもさることながら、女性のロールモデルがいないということも挙げられている。
自分の10年後、20年後を想像できるような年輩の女性社員がいないということ。
このため、女性は男性以上に将来に不安を感じてやめてしまうケースが多いということ。
ここで普通に働いている彼女達はまさに若い女性にとってロールモデルになっているんだなぁと感じる。」
今は日本も随分変わったと感じますが、14年前の当時はその差に衝撃を受けました。
また当時を振り返ると、自分を思いっきりストレッチさせられた要因の一つが
仕事や生活の上で日本人と極力接しなかったこと
です。
私は当時20代。
同じ年代の独身の同僚たちとつるんでランチに行ったり、夜や休日も遊びに行ったり。
私はソフトウェアエンジニアなので、仕事中に話をする機会はそこまで多くはありません。
だからこそ、仕事以外の時間で同僚たちを話をする機会を持てたのが非常に貴重であり、そのような場を設けてくれた同僚たちには今でも心の底から感謝しています。
その後もアメリカへの出張は何度かあったのですが、この時ほどたくさんのことを吸収し刺激を受けたと感じることはありませんでした。