社会人になって刺激を受けたのはいつも出張のときだった
パンデミックが始まり、リモートワークが一気に加速しましたね。
パンデミックが始まってから就職した新卒の人たちは、未だにオフィスに行ったこともなければ出張にも行ったことがないという人達も多いのではないかと思います。
私は日本で7年近くリモートワーカーをしていたこともあり、リモートワークに関しては賛成派です。
でも一方で、仕事で経験した出張というのは私にとって忘れられない思い出です。
後々もふとしたときに思い出す貴重な経験です。
特に海外出張がそうですが、日本で数年働いても得られない経験や気付きを出張の短期間で得ることができました。
現地の人と仕事を通じて交流できる。
観光ではないその国・地域のリアルを肌で感じることができる。
出張というのは社会人だからこそ得られる貴重な経験、特権の1つではないかと思うのです。
ここでは私が’思い出に残っている出張経験を少しばかり回想してみます。
社会人2年目ー中国出張
私にとって社会人初の出張は中国へ1週間でした。国内出張すらしたことがなかったのに、中国北京にしかも一人で、です。
同じ会社の北京支社で仕事を一緒に始めたばかりの人にスキルトランスファーの目的で行きました。
そこで感じたのは、
自分の勤めている会社と同じ会社が海外にもあるということ。
そして海外に自分の仕事のことを理解している人がいるのだということ。
自分がグローバル企業で働いているということ。
人間的に尊敬できる人が海外にもいるということ。
私は当時、社内にロールモデルがおらず、先が見えない中、職場を変えようかと悩んでいた時期でもありました。
この出張がきっかけで、海外の人達と一緒に仕事をしたいと思うようになりました。
社会人3年目ー国内出張
初めての国内出張で、顧客とのミーティングがありました。
顧客ミーティング自体は、「お客さん、しかも地方都市のお客さんとだと、ここまで言語が噛み合わないのか!」という自分が生きて行きた世界の狭さを痛感したのですが、今思い出すのはそういうことではありません。
そのお客さんは自動車会社のお客さんだったのですが、ミーティングの帰りがちょうど夕方でした。そこで帰りのタクシーの中で、その地域で働く系列会社の従業員がみなぞろぞろと歩いて駅の方に向かっているのを目にしたのでした。
夕焼けに照らされながら、仕事を終えた大勢の人たちがみな、てくてくと同じ方向に向かって歩く姿。大人の集団下校という感じでしょうか。
地方都市というのは○○村と呼ばれるように、こうやって大企業の雇用により、系列会社が集まってみなそこで働いているのだなと。
東京では見ない風景でした。
最近はEV車を推進すると系列会社が大打撃を受けるから、日本の自動車産業は雇用の観点で方向転換がなかなかできないなんて話を聞いたりします。
その時に思い出すのが、あのときの風景。
夕暮れ時、かばんを肩に斜めがけしてみな同じ方向に歩く人たち。
あぁあの人たちの雇用が全てなくなってしまうかもしれない。
あのときの風景を思い出すと、そんな大きく舵を切ることができない企業の気持ちがわかるような気がするのです。
社会人4年目ーアメリカ出張
初めてのアメリカ出張は長期5ヶ月で、最初の1週間だけ上司がついてきてくれました。
英語ができない、運転ができない、仕事ができないの3重苦。
「日本てアニメと車以外になにかあるの?」とインド人に言われたときの衝撃。
初めて日本という国を客観的に見ることができた瞬間。
エンジニアがエンジニアとしてここまで評価される環境、自由な職場環境があるのか。
そしてこんなにも多様な人が働いているのかと、「働くとはこうあるべき」という仕事に対する固定概念が大きく崩れた時でした。
社会人9年目ー韓国出張
お隣の国という感覚で行ったら、当時の日本以上にデジタル化が進んでいてびっくり。
当時はデジタルサイネージや公共の場での巨大タッチパネルは日本であまり見かけなかったのですが、韓国で当たり前のようにそこかしこにありました。
また英語の敷居の低さ。
宿泊していたホテルの朝食の場所でも、韓国人が当たり前のように海外の人と英語で会話をしながら朝食をしていました。特にビジネス中心地という訳でもなかったのに。
そして、私は同じ会社の韓国支社の人と仕事していたのですがチーム全員が普通に英語で私と接していました。
当時、同じ会社であっても日本オフィスではそこまでではなく英語を話すのは一部の人のみでした。
その当時、もう10年近く前になりましたが、いや日本ヤバいぞ、と肌で感じたのを覚えています。
韓国は人口が日本の半分と少ないので、国内需要だけ考えていても埒があかない。なので大企業は始めから海外市場を視野に入れている。ビジネスをスケールさせられるかどうかは生産性と直結します。
そして、私が一緒に仕事をしていて感じたのは、とにかく積極的に海外リソースを活用している。
英語での仕事の敷居が低いので、海外からリソースを活用するのにそれほど抵抗がなく、当然という感覚。
最近では近々韓国の一人あたりGDPが日本を抜くなど話題になっていますが、そんな話を聞くと思い出すのがこの時の記憶です。
一方で当時、長時間労働は日本の非じゃなかった。
プロジェクト中はメンバー全員毎日夜中の2時に退社。プロジェクト最終日は徹夜した、トイレでつかの間の仮眠をしたのが今となっては懐かしい思い出。
最後に
出張といっても、同じお客様に会いに同じ場所に何度も出張するのでは、新たな気づきはないでしょう。移動の時間ももったいなく疲弊するだけなので、こういった出張は可能な限り削減した方がいいでしょう。
でもリモートワークが加速して、出張が限りなくゼロになってしまうのは寂しいなぁと思うのです。
百聞は一見にしかず。
最近の中国や韓国の発展の話を聞くと、かつて出張で行った時のこと、中国や韓国の同僚との会話を思い出すのです。
そしてそんな経験も社会人の醍醐味の1つではないかと思うのです。